あの頃の自分の事

芥川龍之介

あの頃の自分の事書籍情報

底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:小浜真由美

あの頃の自分の事 3

芥川龍之介

 我々は一しよに大学前の一白舎(いつぱくしや)の二階へ行つて、曹達水(ソオダすゐ)に二十銭の弁当を食つた。食ひながらいろんな事を弁じ合つた。自分と成瀬との間には、可也(かなり)懸隔(かけへだ)てのない友情が通つてゐた。その上その頃は思想の上でも、一致する点が少くなかつた。殊に二人とも、偶然同時に「ジアン・クリストフ」を読み出して、同時にそれに感服してゐた。だからかう云ふ時になると、毎日のやうに顔を合せてゐる癖に、やはり話がはずみ勝ちだつた。すると二人のゐる所へ、給仕の谷がやつて来て、相場の話をし始めた。それも「まかり間違つたら、これになる覚悟でなくつちや駄目ですね」と、手を後へまはして見せたのだから盛である。成瀬は「莫迦(ばか)だな」と云つて、取合はなかつたが、当時「財布」と云ふ小説を考へてゐた自分は、さまざまな意味で面白かつたから、食事をしまふまで谷の相手になつた。さうして妙な相場の熟語を、十ばかり一度に教へられた。
 午後は講義がなかつたから、一白舎を出ると二人で、近所の宮裏に下宿してゐる久米の所へ遊びに行つた。久米は我々以上のなまけ者だから、大抵は教室へも出ずに、下宿で小説や芝居を書いてゐたのである。行つて見ると、やはり机の側に置炬燵(おきごたつ)を据ゑて、「カラマゾフ兄弟」か何か読んでゐた。あたれと云ふから、我々もその置炬燵へはいつたら、掛蒲団の脂臭(あぶらくさ)い匂(にほひ)が、火臭い匂と一しよに鼻を打つた。久米は今、彼の幼年時代に自殺した阿父(おとう)さんの事を、短篇にして書いてゐると云つた。小説はこれが処女作同様だから、見当がつかなくて困るとも云つた。が、相不変(あひかはらず)元気の好ささうな顔をして、余り困つてゐるらしい容子(ようす)もなかつた。その後で「君はどうした」と訊くから、「やつと『鼻』を半分ばかり書いた」と答へた。成瀬も今年の夏、日本アルプスへ行つた時の話を書きかけてゐると云ふ事だつた。それから三人で、久米の拵へた珈琲(コオヒイ)を飲みながら、創作上の話を長い間した。久米は文壇的閲歴の上から云つて、ずつと我々より先輩だつた。と同時に又表現上の手腕から云つても、やはり我々に比べると、一日の長がある事は事実だつた。特に自分はこの点で、久米が三幕物や一幕物を容易にしかも短い時間で、書き上げる技倆に驚嘆してゐた。だから我々の中で久米だけは、彼自身の占めてゐる、或は占めんとする、文壇的地位に相当な自信を持つてゐた。さうしてその自信が又一方では、絶えず眼高手低の歎を抱いてゐる我々に、我々自身の自信を呼び起す力としても働いてゐた。実際自分の如きは、もし久米と友人でなかつたら、即(すなはち)彼の煽動(せんどう)によつて、人工的にインスピレエシヨンを製造する機会がなかつたなら、生涯一介の読書子たるに満足して、小説なぞは書かなかつたかも知れない。さう云ふ次第だから創作上の話になると――と云ふより文壇に関係した話になると、勢(いきほひ)何時も我々の中では、久米が牛耳(ぎうじ)を執る形があつた。その日も彼が音頭とりで、大分議論を上下したが、何かの関係で田山花袋氏が度々問題に上つたやうに記憶する。