芥川龍之介
底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:小浜真由美
芥川龍之介
散々話をした後で、我々は皆一しよに、久米の下宿を出た。それから本郷三丁目で成瀬と松岡とに別れた。久米と自分とは電車で銀座へ行つて、カツフエ・ライオンで少し早い晩飯をすませてから、ちよいと歌舞伎座の立見へはいつた。はいると新狂言の二番目もので、筋は勿論外題(げだい)さへ、更に不案内なものだつた。舞台には悪く納つた茶室があつて、造花の白梅が所々に、貝殻細工のやうな花を綴つてゐた。さうしてその茶室の縁側で、今の中車(ちゆうしや)の侍が、歌右衛門の娘を口説いてゐた。東京の下町に育ちながら、更に江戸趣味なるものに興味のない自分は、芝居に対しても同様に、滅多にドラマテイツク・イリユウジヨンは起す事が出来ない程、冷淡に出来上つた人間だつた。(或は冷淡にならされた人間かも知れない。芝居を見る事は二歳位の頃から、よく家のものと一しよに見た。)だから芝居より役者の芸が、役者の芸よりも土間桟敷の見物が、余程自分には面白かつた。その時も自分の隣にゐた、どこかの御店者(おたなもの)らしい、鳥打帽をかぶつた男が、甘栗を食ひながら、熱心に舞台を見てゐる方が、天下の名優よりも興味があつた。この男は熱心に舞台を見てゐると云つたが、同時に又甘栗もやはり熱心に食つてゐた。それが懐へ手を入れたかと思ふと、甘栗を一つつまみ出して、割るが早いか口へ入れる、口へ入れたと思ふと、又懐へ手を入れて、つまみ出すが早いか割つて食ふ。しかもその間中、眼は終始一貫して、寸分も舞台を離れない。自分はこの視覚と味覚との敏捷(びんせふ)な使ひ分けに感心して、暫くはその男の横顔ばかり眺めてゐたが、とうとうしまひに彼自身はどちらを真剣にやつてゐる心算(つもり)だか、尋(き)いて見たいやうな気がして来た。するとその時、自分の側で、久米がいきなり「橘屋あ」と、無鉄砲に大きな声を出した。自分はびつくりして、思はず眼を舞台の方へやつた。見ると成程、女をたらすより外には何等の能もなささうな羽左衛門の若侍が、従容(しようよう)として庭伝ひに歩いて来る所だつた。が、隣の御店者(おたなもの)は、久米の「橘屋」も耳にはいらないやうに、依然として甘栗を食ひながら、食ひつくやうな眼で舞台を眺めてゐる。自分も今度はその滑稽さが、笑ふには余りに真剣すぎるやうな気がして来た。さうして又そこに小説めいた心もちも感じられた。しかし舞台の上の芝居は、折角その「橘屋」が御出でになつても、池田輝方氏の画以上に俗悪だつた。自分はとうとう一幕が待ち切れなくつて、舞台が廻つたのを潮に、久米をひつぱつて外へ出た。
星月夜の往来へ出てから「あんな声を出して、莫迦(ばか)だな」と云つたが、久米は「何、あれだつて中々好い声だよ」と自慢して容易にその愚を認めなかつた。今でもあの時の事を考へると、彼はカツフエ・ライオンで飲んだウイスキイに祟(たた)られてゐたものとしか思はれない。